移住のきっかけ
安曇野市に移住をして約5年ほど経ったことは、先日の自邸完成時の話題にも書きました。ありきたりですが長いようであっと言う間だったなというのが正直な感想です。5年もいれば安曇野市内の道は大体分かってきますし、地名から大体のイメージを思い浮かべることはできるまでにはなってきました。また、色んな人たちとの出会いもあり、そのおかげで安曇野での生活を今までなんとか続けています。そういった暮らしのなかでよく聞かれることがあります。それは「何で移住しようと思ったの?」「何で安曇野なの?」といったことです。確かに僕らと初めて会う人は不思議に思うのも当然だと思います。ということで、今回は移住をしようと思ったきっかけと安曇野という場所を選んだ理由を書きたいと思います。
まず僕らは大学進学を機に上京することになり、それぞれが東京近郊を転々としていました。付き合うようになってからは吉祥寺に住み、結婚して調布市の団地に住み始め、その後子供が生まれ国立市にある富士見台団地という場所に住んでいました。昔ながらの平行配置の団地なのですが、その分建物間の間隔が大きくまた樹木もよく整備されていましたので、東京の住宅地というイメージからは程遠く、とても緑豊かな環境で満足していました。
また、妻の趣味から登山を始めたのがきっかけで、結婚してからは毎年どこかの山には登るようになり、子供が生まれる前から、何となくですが生活をしていく場所として、都会よりも自然豊かな場所が良いねと話をしていました。そういった流れのなかで、旅行好きだった僕らはとりあえず移住するならどんな環境がよいかをお互い知るために、場所と時間を見つけては行くようになりました。まだその頃はいつまでに移住したいとか決まっておらず、思いつくまま気にる場所へ行ってみようと軽い気持ちでした。妻の祖父母の家が長野市にあることと東京からの距離も比較的近いということもあり、移住するなら長野県と決めていましたが、実際に訪れたことのある地域は限られていたので、連休などを利用して蓼科や軽井沢などもみて廻りましたが、登山でよく利用していた北アルプスの麓になる安曇野市がやはり良いねという話にはなっていました。
そんななか団地から近いところにある家庭内保育園を利用していましたが、受け入れ年齢制限のため国立市内の他の認可保育園に新たに申込をせざるを得ない状況になりました。その結果、待機児童にならなかっただけでも良かったのですが希望の園には入れず、正直どうしたものかと思っていました。そこで思い立って安曇野市で保育園の入園申し込みができないかと連絡をとってみたところ、申込締切までギリギリ間に合うということ、移住前でも申し込みは可能ということが分かったので、急いで書類を準備し安曇野市へ申し込みをしました。結果その時点ではまだ仮ですが入園OKの連絡が来たので、それじゃあ、安曇野へ行こうというのきっかけです。
当時は全国的にも待機児童問題がありましたので、どうなるか不安でしたが、安曇野市の保育園に入園OKになったのも何かの縁だと思い、移住しようとこのタイミングで決めました。仕事や住む場所などその他諸々クリアしないといけない問題はまだまだ山積みでしたが・・・。
今後も移住に関する話題や自邸ができるまでの経緯を少しずつ書いていきます。私たちの経験を詳しく聞きたい方・住むことに関する相談をされたい方などお気軽にご連絡ください。